ひしひしと感じている。

いつの間にか自分は、何も作り出せない人間、になっている。

 

商業的価値、創作、製作、未来、感動。

自分が単なる生物学的利点のためにスポーツをしている間、

食べ物を作れるようになった者、音楽を作れるようになった者、絵画を生み出せるようになった者、本が書けるようになった者、物語を編めるようになった者、演技を身につけた者、情報技術を駆使できるようになった者、ものづくりの道を歩んでいる者。

 

生み出すものたちは娯楽として受け取られるにとどまるかもしれないし、娯楽にすらなれ場合も残酷なまでに多い。あるいはただ商業的価値として消費される。しかし、いずれにしても新しい事物を世に生んでいる。それは、他者の未来に影響を与えうる所業を成しているということだ。身がよじれるようなプロセスを経験しながら。

 

自分はどうだろう。常にスポーツをしていたが。

そこから何か生むことができるだろうか。厳密にいえば、スポーツを経験したことで、何か生むことができる人間を生むことができているだろうか。

否、である。…ように思う。

 

果たして自分はこの先、何を生み出す人間になれるだろう。

そろそろ、何かを生み出す立場に回る、そんな意識で生きていくべき時間がやってきている。

 

まずは今の自分にできるものを見つめよう。

できることは何だ。卓球、少しのバイオリン、文章の読み書き、単純作業、軽めの肉体労働、快楽の享受、どうしようもない思索、まんまとスマートフォンへ依存、指示待ち、自己主張。

 

なんなんだ。何であればゼロからイチを生み出す素質になるんだ。何ができればいいんだ。考えろ。考えろ。動け。動け。

 

教師ってなんだ。何も生み出さなくていいのか。人か。人を生み出してるのか?お前にそんな能力あんのか?そんな権利あんのか?

 

たしかに、人は「どこかで今日も生きている」ことが本当に大切だ。

それ以上何もない、と思う時さえある。

 

それでも。生きている。生きさせてもらっている。なんかよく知らんけど生きちゃってる。元気で幸せ感じる権利なんて自分には無いように思いながら生きている。だとしても、いや、そうだからこそ、

 

少しでも価値の大きい人生にしたい。じゃん。

今ここにとどまるのは違う。

動け。動け。動け。