2017年5月22日
もう22日なのか…
時間を大切にせねば。
全く時間を大切にできなかった一日であった。
とにかく、スマートフォンへの依存が深刻。
何がこんなに魅力的なんだろう、と考えてみた。
非常に短い時間スパンの中で「新しい情報が得られる!」という期待感を抱いてしまっていることに、気づいた。
一つのアプリを起動している間に、別のアプリでの新着がある。
その新着をチェックしているとまた別のアプリにも面白い情報が降ってくる。
そろそろ最初に見てたアプリをまた見ようかな…
という具合に、飽かず延々と、興味を失わずに一台の機械を使っていられるのだ。
その興味の対象が生産的な行動につながる物であればまだ救いがあるが、享楽的趣向を持ってしまっている僕(というか多くの人々)は、この「楽しみの渦」に溺れている。
関連して、「持たざること」のメリットに思い至る。
僕は荷物が毎日大きくなってしまう。
出先であれをするかもしれない、これをするかもしれない、できればこれもやりたい、もしこれが必要になったときに手元になかったら歯がゆいだろうな…
そんな思考から僕は大きなリュックを愛用する。毎日パンパンになるし、重さも2キロくらいにはなってしまう。
しかし、近頃これは意思決定を先送りにしているだけであって、「何も考えていない」に等しいのではないかと感じ始めた。
ある朝、彼女の家に大きなリュックを置いたまま、自宅へ帰った。
自宅を発つとき、持って行く物を考える。
「今手元にあるのはコレとコレだけだから、今日は外でこれに取り組もう」
おのずとやることが明確になった。迷う余地がなく、考える時間も短かった。
出先での作業も捗ったのは言うまでもない。
スマートフォンには、あまりにも多くの物が入りすぎている。
そのことに自覚的にならない限り、本当に多くの人たちが身を滅ぼしかねない。もう少し具体的に述べると、主体的な意思決定の能力を失いかねない。
それはすなわち、現代が求めているはずの「個人」が実現されない結果である。
「選ぶこと」「捨てること」それ自体が能力の要る状況になっている。
いや、とりあえずがんばれ俺。。。